亡命犬吠え罪

いつか同人誌出したい

太宰、尿路結石、やおい穴

よく中国茶を飲みよく尿を出すのをモットーとする友人がいる。学習塾が、よく学びよく遊べ、と謳うがごとく。激甚激痛の尿路結石を恐れてのことらしい。諸君は膀胱のキャパを超えて、尿路に流れ込み、腹圧で水流を抑えながら、陰茎を外から手でむんずと掴んで失禁を免れたことはないだろうか。尿路結石にとって、これは完全なる弥縫策である。それどころか、尿路の長さが仇となり、いずれ石になってしまう可能性さえあるのは哀れMen's Junanとしか言いようがない。

詰まった石ころの行く末はおよそ2パターンである。1つは自力(?)で破砕するもの。結石に無自覚なまま、痛みでのたうち回っているとそうなるらしい。ただし不可抗力で失禁を伴う。漠とした玉砕の意志は滾り行為へいや増せよ、しかれどその心情は寂寥の荒野にあるぞかし。

もう1つは超音波で石を破砕してそのまま流すもの。破片が排出される一瞬は相当な激痛。リラックスするために中国茶を飲むたびに、私はついつい尿路結石のことを考えてしまう。陰茎周りのエピソードは二次受傷の程度に男女差が大きすぎるので、相互互換が可能な引用をしてみよう。太宰治人間失格』の内省的すぎて、いろいろ考えちゃってた頃を回想するシーン。

これまでの自分の恐怖感は、<略>はだしで歩くと足の裏からガラスの小さな破片がはいって、その破片が体内を駆けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなもの

人間失格』の筆致は諧謔的で、はじめて読んだときには、これを過剰表現の一つとして見過ごしていた。あまりにも戯画化されたインターネットの太宰すぎた。それが技術の進歩によって尿路結石の治療が太宰に近似してきていたとは!私は今、彼よりも多く茶を飲む。

ところで下半身にまつわるトピックは、医療関係であっても大人の教養においては傍流とされがちである。歳を重ねるにつれて、芳醇さを増した比喩は我々の認識を鋭敏にする。ともすれば『人間失格』のような考えすぎに陥ってしまう。会社の健康診断でDがでて、汗をかいた金玉の裏からはタマリンドと同じ匂いがする。これは病気の予兆ではないか?おかざき真里の作品に『セックスのあとの男の子の汗はハチミツのにおいがする』があるが、ハチミツではなくタマリンドの匂いがしているから、僕はもう男の子じゃないのだろうか?輝く太陽はオレのもので、きらめく月はそうお前のナミダなのだろうか?

もっともっとシリアスに考えてほしい。

産婦人科の検診台や分娩台はどうなっているのか。日本全体の機械設計技術者のほとんどはおっさんだ。つまり、設計者だけでなく、モデルになっている人も同じ部署のおっさん、品質保証も、製造部も、生産管理も、購買も、下請けも、全員がおっさんだ。では、検診で見えるべき場所、そこにある穴はなんだ?

おっさんの平均的な肛門に一致するのだろうか?流石にそれはないと信じたい。

そこにあるのは膣でもなく、肛門でもない。やおい穴に違いない。リアルなおっさんにやおい穴を想定して、設計していると考えれば合点が行く。恥じらいもなく、仕事として、粛々と位置を記録された、やおい穴やおい穴やおい穴

やおい穴は尻でもAssでもない。